井上真智子
浜松医科大学地域家庭医療学講座特任教授
静岡家庭医養成プログラム指導医

Hinohara Fellowship 2016
2016年4月~2017年3月

プロフィール:

留学前までは、浜松医科大学地域家庭医療学講座特任教授、静岡家庭医養成プログラム責任者・指導医を務めていました。専門は家庭医療、プライマリ・ケアで、地域における家庭医の育成、プライマリ・ケア(特に質の評価・向上)に関する研究が主たる関心領域です。
略歴・業績については下記に掲載しています。

http://researchmap.jp/machiko-inoue/

留学期間

2016年4月~2017年3月

留学を志望した動機や経緯

プライマリ・ケアにおけるリサーチの推進体制整備のため、自身のリサーチやメンタリングのスキルアップをしたいと考え、志望しました。医療政策に関わるヘルスサービスリサーチについての学びを深め、また、医学教育や専攻医(レジデント)教育についても日本の現状に活かせる何か、を得たいと考えていました。そのようなときにこのフェローシップの存在を知り、これらを学ぶことができるのではないかと考えて、推薦をいただいて応募しました。

留学までの準備や関連情報

私は留学前の日本での仕事がきわめて忙しく、多くの役割や業務があったため、残念ながら準備に時間や労力をさくことがほとんどできませんでした。本来は、留学が決定し次第、計画的に準備(英語のトレーニングや文献レビューなど)を行うのが理想かと思います。

留学時の経験や活動

2016年4月から2017年3月までの一年間、日野原フェローとして学ぶ貴重な機会をいただきました。派遣にあたって支援くださった日本の選考委員会の先生方および、現地で指導くださったDr. Christina WeeおよびDr. William Taylorに心からの感謝を申し上げます。以下にフェローシップで学んだことを報告いたします。


◆ ◆ ◆


本フェローシップではフェローの関心・ニーズに応じて、テーマやプロジェクトの種類を自由に決めることができる。私の場合、日本でMaster of Public Healthを取得し、プライマリ・ケアの診療・教育・研究に関するある程度の経験をもっていたため、まずBeth Israel Deaconess Medical Center(BIDMC)のプライマリ・ケア診療・教育・研究において、日本に持ち帰り発展させることのできる概念や実践を知ることとした。その後、このフェローシップで探求するテーマを下記の二つに決め、最後にプロジェクト発表を行った。


第一に取り組んだのは、Harvard Medical School(HMS)における教育カリキュラム改革について目的や現状、課題を把握し、HMSにおけるプライマリ・ケア教育の最新の取り組みを知ることである。2015年、HMSのカリキュラムは30年ぶりの大幅な改訂が行われた。主たる変更点は、臨床実習の開始を1年早め、4年間のカリキュラムの後半に自身の関心やキャリアに沿って学習をカスタマイズすることのできる期間を長く設けたことである。これにより、臨床実習に出る前の期間が14ヶ月と短縮された。講義の大部分にFlipped classroom形式が導入され、水曜日以外は午前4時間ディスカッション形式の授業、午後は自己学習の時間となっている。毎週水曜日は、1年生の始めから所属の医療機関で少人数のグループに分かれ、医療面接、身体診察、臨床推論、コミュニケーションを学ぶ。患者の診察は学生2名に対し、1名のプリセプターがついて指導を行う。5年前に設立されたCenter for Primary Careが中心となって、プリセプティングシステムやプライマリ・ケア教育のコーディネートを行っていた。2年生から始まる臨床実習では、4カ所のうちの一つ(Cambridge Health Alliance)で縦断型統合実習(Longitudinal integrated clerkship)が取り入れられている点が特徴的であった。学生はブロックローテーションではなく、総合診療を通して全科について学び、また担当患者を継続的にフォローする。プライマリ・ケア、プロフェッショナリズム、患者医師関係に関するこれらの教育は、カリキュラムの中で統合的に扱われており、医学生の能動的な姿勢が大変印象的であった。日本の医学教育でプライマリ・ケア医の関与の割合はまだ多くはないが、今後の縦断型実習も含めて課題と言える。


第二のテーマとして、BIDMCで行われている質改善・患者安全(Quality improvement & Patient Safety:QI & PS)に関する教育・実践活動と医療従事者へのピアサポートプログラムについて学び、日本での実装を検討した。医師の卒後研修においてSystem-based practiceが必須のコンピテンシーとして掲げられてから、Morbidity & Mortality conference (M&M)は、症例の医学的検討にとどまらず、システム上の課題を検討し質改善につなげる要素を含む内容へと変えられた。システムに関して決定権のある診療科長らが出席し、システムの変革の必要性が認識されたらしかるべき手段をとるようになっていた。チーフレジデントはQIミーティングでケースレビューを報告し、システムに関して多職種で改善が検討されていた。プライマリ・ケア診療部門においても毎月数件のケースが検討され、システムや教育上の課題を多職種で検討していた。このようにQIとPSに関する取り組みをレジデント教育の一環として実践することが非常に重要視されていた。事故やニアミスは学習機会(learning opportunity)としてとらえられ、直接携わったスタッフが責められることがないよう、安全文化への配慮が最大限に行われに行われていることが非常に重要な点であった。日本の多くの医療機関で、インシデント報告や医療事故は、厳しく懲罰的態度で責任追及されることと背景が大きく異なっている。日本の専門研修においてはQIとPSに関する教育はまだシステマティックに行われているとは言えず、診療現場で当事者を守る安全文化・Just cultureへの意識も高くはない。今後、どのようにこれらの文化および教育システムを浸透させるかは課題であるが、総合診療教育のフィールドにおいて実践を積み重ねていく予定であり、それを促進する学びであった。


また、BIDMCでは医療事故など職場でトラウマとなるような体験をした医療従事者(医師のみならず全職種)を対象とした「ピアサポートプログラム」が導入され、ボランティアのピアサポーターが心理的ファーストエイドにあたっていた。事故が発生した場合、患者・家族のみならず医療従事者もその影響を受け(second victim)、精神的・身体的な問題を抱えることで最高のパフォーマンスを発揮できなくなることが問題と認識されている。このようなプログラムは近年他の医療機関でも導入され始めており、その活動の発端となったNPOであるMedically Induced Trauma Support Services(MITSS)のスタッフにも話を聴くことができた。医師をはじめ医療従事者のバーンアウト、パフォーマンス低下や離職は医療機関にとって大きな問題となっており、このように心理的サポートのシステムを整備することやウェルネス向上のプログラムを導入することが喫緊の課題となっていた。また、Brigham and Women’s Hospital(BWH)では職員のプロフェッショナリズム教育の一環としてピアサポートを実践しており、チーム内のコミュニケーショントレーニング、問題行動への指導とあわせて取り組まれていた。日本では、未だ医療機関が組織として積極的に取り組まなければならない課題として認識されていないが、医療従事者の働き方改革とあわせてバーンアウト対策・予防は同様に課題であると考えられる。日本の医療機関でのパイロット実装を検討している。


以上が主たる2つのテーマであり、今後日本における実践で取り組んでいきたい課題である。保健医療システムが大きく異なる米国で、また先進的なヘルスケアシステムをもつマサチューセッツ州において、このように医療現場から教育現場、そして病院の質向上運営にいたるまでさまざまな体験と学びの機会をいただいたことは大変貴重であった。今後、日本での教育研究、またアドボカシー活動を通し、この成果を日本のプライマリ・ケアの向上へ還元していきたいと考えている。