石川雄一
有限会社日本ヘルスサイエンスセンター代表取締役
株式会社ヘルストラスト代表取締役会長
健康学習学会名誉会長
自治医科大学非常勤講師

Hinohara Fellowship 1986
1986年6月~1987年8月

プロフィール:

広島県出身、昭和53年、自治医科大学卒業後、病院・保健所で僻地医療に従事。
ハーバード大学ベス・イスラエル病院で行動科学・医学教育を研究し、独自の健康学習理論を確立する。
メンタル・タフネス研究会委員(元自治省)、生涯生活設計プログラムモデルガイドブック等に関する研究会(総務省)、医療関係者審議会専門委員、医師国家試験委員(厚生労働省)などを努め、医学の枠を越えた健康を目指し、全国各地で講演会活動を行いながら、「自分らしい人生を過ごすための総合的な人間の健康」の啓蒙と普及につとめる。

留学した期間

1986年6月~1987年8月

自分の専門性とは

1978年自治医科大学の初めての卒業生として地元広島に戻り、初期研修、地域中核病院、保健所等の勤務を行いました。先輩先生方から「将来どんな専門性を持ちたいのか?」と問われ、ひねくれ者の私は自治医大の一期生ということもあり、多くの医師が専門性を求められているのが今の時代のニーズなら、次の時代は限定された分野の専門性ではなく総合性が求められるのではないか、と予感した。他のDr.から「専門性は何ですか?」の質問に、いつしか私は「専門は目の前の患者さんを健康にすることです!」等と根拠もない返答をする自分がいました。そこから総合性を看板にするには、自分に何が大切かの模索が始まりました。

興味が病気から健康へ

医療機関の中にいると病気の治療に目を奪われ、その解決のための知識・技術・経験を得たく、昼夜問わず学び続けました。幸いにも自治医大の卒業生であった私は、へき地勤務のため医療機関以外の場で健康生活を考える場に数多く出向く環境にありました。自分の仕事が健康の「修理業」でなく、「人間創り業」をやりたい、それを学問としての単なる理論ではなく、現場に役立つものは何だろうか。それは内科、外科、小児科・・・を幅広く集めた集合医学でないことだけはわかっていました。しかし何をどうやっていいのか全くわからず、まず海外の家庭医学の文献を読みあさりました。そこで、行動科学とりわけコミュニケーション学の存在を知り、無理矢理一週間の休みを取り、米国西海岸のメディカルスクールで家庭医療の現場を視察し、何かチャンスがあればと留学したいと思うようになり、行動科学の自主学習を始めました。そんな時「日野原フェローシップ(当時は笹川フェローシップ)」の話を伺い、日野原重明先生、紀井国献三先生の面接を経て、1986年ハーバード大学ベス・イスラエル病院に留学するチャンスをいただきました

出会い

他のフェローシップのDr.10数名(私以外は米国人)と共にプライマリ・ケアに関する基本プログラムを受けましたが当初は英語に苦しみました。仲間からのサポートを得、一緒にキャンプ、野球、パーティー等プライベートでもつき合うことができ、それはプログラムでは得られない貴重な体験でした。30年経った今でもフェローシップの仲間と交流を続けています。


同年から医学教育改革として、ニューパスウェイプロジェクトが始まりました。160名の医学生を2つに分け、40名(ニューパスウェイカリキュラム)、120名(旧来型カリキュラム)で、どちらがこれからの医学教育のあるべき姿かの教育トライアルが始められました。教育の専門家がチュートリアル教育手法をチューター医師に教え、教育現場で活気あるコミュニケーション手法を活用し、医学生に考える力、マインド、表現力を習得させていました。日本からも医学部長の先生方がニューパスウェイ視察に来られ、きっと近い将来、日本の医学教育も大きく変わるだろうと期待をしました。私もニューパスウェイプログラムのコーディネイトスタッフの一員として参加し、学習理論、コミュニケーションについて学び、帰国後、これをベースに「健康学習」という理論体系を創り上げました。新しい教育システムにチャレンジする米国リーダーは何をどのように発想するのかに興味を持ち、カリキュラムトップリーダーだったハーバード大学副学長Dr.フェダーマンに尋ねました。「医療の目的は何だとお考えですか?」すると「平和だよ。医療での研究の積み重ね、政治とも協力し合い、健康を入口に平和を目指すのです。」と言い切られた。私は予想外の返答に困惑しました。病気撲滅、健康生活は、社会生活の基本。そして、目標はもっと高い所におく必要があるとショックを受けました。

留学生への期待

ハーバードでの生活では、医療分野以外の日本からの留学生とも出会い、数々のネットワークづくりが帰国後最大の財産になりました。これから留学する方にもお勧めですが、学んだ内容は時間と共に消え去っていきます。しかし、人とのつながりは更なる自己成長の糧となります。大学の研究室に閉じこもらず、多分野の方々と積極的にコミュニケーションを図り、仲間という財産づくりをしていただきたいと思います。そこから自分を見つめ、将来を展望し、考えることの面白さを実感されることが留学の魅力だと体験を通して学びました。これからの「日野原フェローシップ」が世界の健康・平和に向うきっかけづくりになることを期待しています。