大滝純司
北海道大学医学研究科
医学教育推進センター教授

Hinohara Fellowship 1996
1996年8月~1997年7月

プロフィール:

留学する前は、筑波大学で付属病院の卒後臨床研修部門の教員をしながら、総合診療部門も細々と担当していました。帰国後は、総合診療部門や医学教育部門の立ち上げにかかわる仕事などを色々な大学で続けています。専門は医学教育と総合診療医学で、関心領域はプライマリ・ケア医の養成と基本的臨床能力の教育方法です。

留学した期間

1996年8月~1997年7月

留学を志望した動機や経緯

他のひとが留学する予定になっていたのですが、事情でそれが取りやめになり、その穴を埋める形で急遽、留学する気はないかと勧めていただきました。それまでパスポートも持っておらず、留学などまったく考えていなかったので、ものすごく迷いました。その当時ですでにアラフォーで、小学生の子供が2人とあまり英語の得意でない妻との4人家族でした。最終的にはこのようなチャンスは一度しかないと考えて、家族と共に挑戦することにしました。留学すると決心したときには、「留学を役立てるために帰国後10年間は大学で活動しよう」と考えました。

留学までの準備や関連情報

準備では、ベスイスラエル病院(当時)でレジデントとして学ばれて帰国された武田裕子先生に、本当に何から何までお世話になりました。英会話は個人レッスンの集中コースで付け焼刃を試み、子供たちには、毎朝出勤前にアルファベットを一文字ずつ教えました。引越しの船便の荷造りが間に合わず、夕方になり閉まりかけた郵便局に、乗用車のトランクと座席に段ボール箱を満載にして運ぶなど、ドタバタの連続でした。

留学時の経験や活動

医学教育の日米比較をテーマにしました。今では医学教育の国際大学院に留学する人も増えていますが、当時のハーバードにはそのようなコースもなく、珍しがられました。New Pathwayという新しいカリキュラムをハーバード大の医学部が導入して世界から注目を集めていた時期で、その授業や教員の研修会、指導医の研修会、教育センターなど色々なところに参加や見学をさせてもらいました。いわゆる質的研究の学習会がボストンで始まったのもこの頃でした。

業績(特に留学時の活動と関連するもの)

なんとか総説を一つ書くことができました。帰国後に医学教育の雑誌に掲載されました。
 Considering primary care in Japan. Acad Med 73:662-8, 1998

留学中に学んだのが契機になり、帰国後に質的研究の参考書を翻訳しました。
 質的研究実践ガイドISBN-10: 4260006134

留学してよかったこと困難を感じたこと

視野が広がり、自分の進路を大きく見直すきっかけになりました。外国の人と接することに対する苦手意識がやや減りました。家族や同僚と、沢山の思い出を作ることができました。

最も大変だったのは自分の子供たちの教育の支援でした。ボストンに日本人学校はなく、公立学校に通わせながら、週末は日本語の補修校にも通わせました。

後輩へのアドバイス

1年間は留学期間としては長くありません。心身の健康に留意されて、貴重な時間を有意義に過ごしてください。そして帰国後は是非、日本のプライマリ・ケア教育に貢献していただくよう期待しています。